空天會について

空天会とは

日本空手道空天会は日本空手の祖と言われる船越義珍先生の元で稽古された、故江上茂先生の心と技を引き継ぎそれを自身のものとするために稽古している団体です。

「空天会」の「空」は空手の空であり、心の雑念を無くし器を大きくしておきたいという願いもこめております。

「空天会」の「天」は江上先生の雅号である「遊天」からもいただいておりますが、天の文字は他にも江上先生が書かれた著書の中にもたくさん見受けられます。

その著書の中から少しの部分を掲載させていただき、私たちが目指す空手道を理解していだければと思います。

江上茂先生の著書『空手道―専門家に贈る―』の中から

  • 古来、日本に伝わる、素晴らしいものに、平法というものがあったと聞きます。 その伝承は詳らかではありませんが、殺人の為のものでなく、活人としての道だったように聞きました。 そのようなものになって、初めてカラテも、立派な「空手道」といえるでしょう。
  • お茶を点てて楽しく飲む。ただそれだけ。それが、茶道の世界といった或る茶人がいます。 全く立派だと思います。 効能書きも、ケレンもハッタリもない。何とも立派です。 空手道は、天地間に、ただ、自分の心を画くだけ、とでもいったらいいのでしょうか。 わび、さびと言い、和敬静寂という。俗塵を離れ、二畳の茶室に、宇宙の広大さを感ずる。否、自我と宇宙とが一体となり、主客相和して、無為を楽しむ姿。それが、お茶の真髄とでも言うのでしょうか。空手道も又、一心無空。ただ、己れと天地と、一体となる喜びとも言えましょう。 静中動、動中静、動静一致の姿。それが、人間本来の姿とも言えましょう。 一切の斗争、対立を越えた、本来の、自然の、調和の世界の表現とも言えましょう。
  • 其の稽古に徹し、進めていくと、勝とう勝とうという畜生拳法から脱して、相手と一体になる。つまり、対立抗争の世界から脱出して、調和の世界に入る。そして、至上最高への道としてのカラテ、つまり、「空手道」に向上する訳である。
  • 草や木が、天の意志、自然の法則に従って生きるように、人間も、己れ自身の意志とは無関係に、生まれそして死ぬ。自然の法則に従い、のがれることは出来ない。「天命を知る」という言葉がある。人間の意志を以っては、どうにもならないもの、それが天命であろう。天命を知り、自然の法則を知って、宇宙と同化し、自然にまかせ、自然と共になり得て、初めて、自在な動きが出来るだろう。
  • 永遠無窮の広大の中に、小さな自己を感じたら、時に、自己を離れて宇宙の広大の中に遊ぶがよい。ひたりきってみることだ。自己の一切を離れて。宇宙に同化することだ。小さくて、而も大きな、本来の自分を発見するだろう。天上の星と地上の灯と。永遠の生命と、一瞬の命と。空手道とカラテと。 空手道とは、そんなものではないのか。極めて自然なもの、極めて自然な動きの前には、一切の敵はないのだ。
  • 元来、空手道は、単なる斗争の技術でなく、人間修行の手段であり、人間性の向上発展のためのもの、神性、霊性発掘の一方法としてあったものと思われる。

無心

江上茂先生の書  『無心』